博多座に見に行きました。
歌舞伎を見に行くようになったきっかけは高校時代の「歌舞伎見学」。
きっとよくわからない謡曲やセリフばかりだろうからと思い、座席について寝る用意をしていた。
でも「せっかくだから最初だけでも」と思い見始めたら意外にセリフがしっかりとわかる。
さらに展開も面白く見せ場も素晴らしく。最後には一人感動して泣いていたその出し物は『夏祭浪速鑑』。
しばらく見に行く機会もなかったんだけど、勘三郎が(当時は多分勘九郎)コクーン歌舞伎で上演、
さらにニューヨーク公演も行ったと聞き「やっぱりあのお芝居面白かったんだよね」と
自分の鑑識眼?を自画自賛。
子離れできたころに博多座がオープン。ただお高いので見たい役者、見たい出し物の時だけ行く。
なので今回で3回目。
本当は行くか行くまいか迷っていた。ただ、次女がもともと猿之助が好きなのと
勘三郎の芝居を見そびれて悔やんでいた私を知るオットが「また見そびれるぞ」と背中を押し。
結局次女の帰省のタイミングに合わせていそいそ博多座に出向いたのでした。
NHKのこちらの番組に中車と猿之助が対談していたんだけど、中車さんは自分の演技を見て
「発声がまだまだ」と本気で恥ずかしがっていた。まだ歌舞伎を始めて数年。
確かにセリフ回しは子供のころから舞台を踏んでいる周りの役者にはどうしても敵わないものはあった。
素人目に見ても。
ただ、もともと才能も身体能力もある役者さんなので周りとのリズム・呼吸はぴったりとかみ合っていた。
番組では「稽古10年、舞台3分」(そんなニュアンス)と話していた。
つまり10年分の稽古が舞台に出ると3分分にしか値しないと。
現代劇との違いはやはり「様式」「型」があること。
何十年もかけてそれを会得している歌舞伎役者たちの中に主役として入るそのプレッシャーは
並大抵のものではないだろう。様々な形で名前の重みも教えてもらうんだろうな。
猿之助。出し物は「義経千本桜」。一度見たいと思っていた。
これはまさに歌舞伎の眠くなるパターン。分かりにくいせりふ回し。実はちょっとうたた寝してしまった。
だけど人間の姿をした子ぎつねを演じる猿之助が登場すると目がパッチリ。
人間としての佐藤忠信と子ぎつねが化けている佐藤忠信を一人二役で演じ分けるんだけど
化けている方はどう見ても子ぎつねにしか見えないのだ。
親の皮で作られたつづみの音に親の声を聴き、恋しい思いを抑えきれずにゆっくりと近づく様子。
鼓が無事自分のものになり、喜びのあまりじゃれる様子。
子ぎつねそのもの。。。
思わぬところから出てきたり、衣装の早変わりがあったり、もちろん宙吊りもあったりと
からくり的な見せ場も楽しませてくれたのだけれど、やはり演技・踊り、すべては猿之助の魅力に尽きる。
「プリンスと呼ばれる人にはそれだけの魅力があるし、その称号を受けるに値するだけの
努力を重ねているんだろうなぁ」とつくづくと考えさせられた。
幕が下りても鳴り止まない拍手、そしてスタンディングオベーション。
幕がひょいと開くと、猿之助が登場。ゆっくりとゆっくりと座席を見回し、一礼をした。
それは人間の姿をした子ぎつねの様子のままだった。より深い余韻が残った。